ぴんの生い立ち(台湾編)

ぴんの30年近くの人生を紹介します。
純台湾人で、家族は日本語喋れません。
大学ではフランス語専攻でフランス留学もしたことがあるという異色な経歴。
社会人になってから日本語を独学し日本に来ました。

生い立ち

今までの人生: 

~2011年台湾で小中高卒業
2011年~2015年台湾国立中央大学 文学部 フランス語学科
2013年~2014年フランス ランス市 交換学生
2015年~2018年台湾で働く(B2B旅行会社OP、歯科助手など)
2018年~2019年日本ワーキングホリデー
熱海市 リゾートホテル レストランサービス
福岡市 ビックカメラ 通訳
指宿市 五つ星温泉旅館 フロントスタッフ
2019年~2021年札幌市 ビジネスホテル フロントスタッフ
札幌市 デジタルサイネージ販売会社 マーケティング
2022年~現在横浜市 貿易商社 事務兼経理兼海外営業

高校卒業まで

小さい頃は明るくて、社交的な子で、夢は「歌手になること」でした。
いろんなことに興味を持ち、母にいつも色々質問してましたけど、
母からはいつも「知らない」っと返事されて、
「大人はなんでも知ってるでしょう、何で教えてくれないの」っといつも拗ねてました。

従姉妹がピアノ習ってるのを見て、親にお願いして、
小学2年生の時からクラシックピアノを習い、
ピアノ検定たくさん受けて、コンクールで一位を取ったこともあります。
中学時代は吹奏楽団するクラスに入って、トロンボーンを3年やってで、
バイオリンも一年間くらい習ったこともあり、音楽ばっかりやってました。
この時期は日本のビジュアル系バンドを好きになって、
バンドやりたい!と思い、高校の時、軽音部に入り、ベースをやり始めた。

成績はいつも10位以内で、勉強できる方でした。
理科と数学は結構いい方だけど、
未来の職業など考えてなくて、大学の各学部はどんなものを学ぶのも調べてなくて、
ただ外国語に興味がある、英語は成績上位の方で、
高校2年に上がる、文理系を選ぶ時は文系を選びました。
大学受験終えた時、日本語学科に行きたかったけど、
台湾では日本語学科がある大学は大体私立で、
公立で日本語学科があるのは一位と二位の大学しかなくて、
諦めて、国立中央大学のフランス語学科に入りました。

playing piano
大学時代のピアノ部発表会

大学時代

大学は人生で一番楽しい四年でした。
家から離れて、学校の寮に住み、友達たくさんできて、
他の学科の人とイベントを開催しったり、彼氏作って色んなとこ行ったり、
ピアノ部と軽音部両方入ったので、部活も充実してました。
大学2年生の時、フランスに交換学生で行くことを決めて、
フランス語検定、申請書類の準備、現地の学校との連絡は大変だったけど、すごくいい経験でした。

フランスのランス(Reims)の大学で一年近くフランス語、文学、歴史などを学びました。
ランスはシャンパーニュ県内なので、シャンパーニュのケーブをたくさん見学できて、
美味しいシャンパーニュもたくさん飲めました。
ヨーロッパでは休みが多くて、確か一週間の連休は年に3回くらい、
クリスマスと年末年始の連休は20日間くらいでした。
連休を活用して、一年の間で12ヵ国旅行しました
ドイツ、ベルギー、オランダ、イタリア、ポルトガル、スペイン、チェコなど行きましたね。

大学四年生になり、卒業できる単位数だけの授業を受けて、
残りの大学生活を楽しんでました。
卒業したらどんな仕事するのか、まったく見当がつかなかったです。
フランス語はまあまあできる方だと思うけど、仕事で使いたいほどでもなかった。
何をしたいのか分からないまま卒業を迎え、
何社かフランス語を使う仕事の面接を受けたが、上手くいかなかったです。

台湾で働いてた時期

実は、大学四年生の後半から「椎間板ヘルニア」になって、長い間リハビリしてました。
日本が好きな気持ちはずっとあって、できれば卒業後すぐ日本に行きたいけど、
ヘルニアの事もあって、お金も必要なので、しばらく台湾で就職する事を決めました。
親から「公務員試験を受けなさい」と言われたので、塾を申し込んで、公務員試験の勉強しながら、
小型オフィスをレンタルする「ビジネスセンター」のフロント勤めてました。

半年間くらい勉強したけど、やっぱり公務員の仕事には興味ないので、
ビジネスセンターの楽な仕事を辞め、ヨーロッパ専門のB2B旅行会社へ転職しました。
この仕事ではたくさんオフィス技能を身につけた。
上司との接し方、Outlookの活用、ファイリングの基本とか…。
仕事内容としては、OPという職で、B2Cの旅行会社(日本でいうならJTBとか)から依頼を受けて、
ヨーロッパのホテル、レストラン、アトラクションとバスを代理で予約すること。
グループが現地にいる間、もしトラブルがあったら、
フォローしないといけません。(たまに土日にヨーロッパからの電話が来る)

keelung, taiwan
(旅行が好きで旅行会社に入ったが…

この会社で働いて満10ヶ月の時に、いつか日本へ行けるため、
ヘルニアの手術をする事を決めました
手術後、会社を一ヶ月間休んで、家で体を回復しました。
その後、仕事再開したが、残業とストレスにはもう耐えなくて、再度転職しました。

この時、日本へワーキングホリデー行く事は心の中で決まってました。
ビザ取得まで、つなぎの仕事として、歯科医院の歯科助手になりました。
台湾では歯科助手は資格いらないので、高卒でも働けます。
歯の知識はもちろん、同僚と協力する事、人をアシストする事、接客など、色々勉強になりました。

前編のまとめ

書いてるうちに昔の事を色々思い出して、
みんなにシェアしたい、記録したいの気持ちが強くなって、
こんなに長くなりました。(汗)

日本に来る前は本当に何も考えてなかった。
ただ勉強して、そこそこいい大学に入って、音楽が好きだから趣味としてやって、就職して、
結局やりたいこと見つからなくて、社会人になって3年の間2回も転職しました

後編はやっと、念願の、大好きな日本に来ました!!