ぴんの生い立ち(日本編)

前編は学生時代、台湾で働いた時期を書きました。
ここからは日本編です~

生い立ち

今までの人生: 

~2011年台湾で小中高卒業
2011年~2015年台湾国立中央大学 文学部 フランス語学科
2013年~2014年フランス ランス市 交換学生
2015年~2018年台湾で働く(B2B旅行会社OP、歯科助手など)
2018年~2019年日本ワーキングホリデー
熱海市 リゾートホテルのレストランサービス
福岡市 ビックカメラの通訳
指宿市 五つ星温泉旅館 フロントスタッフ
2019年~2021年札幌市 ビジネスホテル フロントスタッフ
札幌市 デジタルサイネージ販売会社 マーケティング
2022年~現在横浜市 貿易商社 事務兼経理兼海外営業

日本ワーキングホリデー

2018年の3月末は私の人生の節目で、日本へワーホリに来ました。
最初はどの町にしようか悩んだところ、
クレヨンしんちゃん劇場版「嵐を呼ぶ 栄光のヤキニクロード」を思い出し、
内容を一言で言えば、野原一家が焼き肉を食べるために熱海に行くことです。
熱海は温泉が有名だし、ビーチもあって、
最初の働く、住む場所は熱海で決めました。(この理由を日本人友達に言ったら大体笑われた)
日本へ出発前、ネットで住み込みの仕事「リゾートバイト」を何個か応募して、
何個か面接で日本語スピーキング能力がダメで落ちて、
諦め寸前、ある熱海桃山のリゾートホテルのレストランサービスの仕事が受かりました。

初めての日本生活なので、何でも興味津々。
町で歩く、電車に乗る、スーパーに行くだけで楽しい。
ホテルの支配人が用意してくれた住む場所は、管理員がいる、エレベーターマンションの一室。
ここの管理員夫婦にめっちゃお世話になりました。
最初は日本語そんなにしゃべれなくて、携帯番号もなかったので、
色々助けてもらいました。(のちに4年後また関東に戻り、会いに行きました。)
このマンションは温泉付きで、狭い浴場だけど、住人のばあちゃんたちと毎日温泉入れました。
仕事の方は先輩のベトナム人のおかげで、早く一人前になれました。
この職場では色んな面白い人と出会えた。
仕事内容、会った人たちの詳細はまた今度の投稿で詳しく書きます。

最初は熱海で3ヶ月働いて他のところに行くの計画でしたけど、
支配人から、7、8月は一番忙しんで、夏が終わるまでにいてくれっと説得されたので、
結局熱海では5ヶ月間住み、次は九州の福岡に行きました
どうして福岡なのか、これ!という理由はなくて、
ただ九州には行ってみたい、福岡に行ったことあるの友達から好評受けてるので、ここにしました。
今回はオフィス仕事したいと思って、仕事探すのすごく大変でした。
ハローワークで挫折しまくってから、「カフェの店員」の仕事が受かったけど、
結婚指輪の店に働かされました。(笑)詳細はまた今度投稿で書きます。
ネットでビックカメラの求人を応募して、めでたく受かりました。
その怪しい会社は1ヶ月間で辞めて、ビックカメラの通訳になって3ヶ月間バイトしました。
ちなみに、福岡で住む場所は人生初のシェアハウスでした
女性専用で狭い一軒家でしたが、暖かいシェアメイトのおかげで、いい思い出になりました。

ワーキングホリデーの後半に入って、最後はもう一回リゾートバイトしたいと思い、
九州の温泉旅館をターゲットに応募してた。
今回もレストランサービスで採用されるかなぁと思って面接してたけど、
担当者から「フロントで働いてみないか」と提案されました。
自分の日本語能力が認められたと感じて、結構感動しました。
福岡で年末年始を過ごし、年明けから長崎、熊本、鹿児島で旅行しながら次の職場に移動しました。
ワーホリ最後の職場は鹿児島県指宿市の五つ星温泉旅館です
ちょうど1~2月は春節期間なので、インバウンドの中華系の人に案内する事は多かった。
香港人からチップもらったこともあります。ありがたいですね。
フロントスタッフのみんなは仲良くしてくれて、飲み会、カラオケも一緒に行ったことがあり、
すごく充実な2ヶ月間でした。
ワーホリビザが切れる前、宮崎駿監督の「もののけ姫」の森の舞台「屋久島」に、
指宿からフェリーで旅行しに行きました。
この島では私の初路上運転(しかも一人で)、12時間かけて登山し縄文杉を拝むの話、
また今度投稿します。

台湾で就活の4ヶ月間

2019年3月末ワーホリビザが切れて、台湾へ帰りました。
台湾で再就職しようと活動してで、
ちょうどJAL航空はCA募集してたので、応募して放置、まさか一次面接の案内が来ました。(!)
何も準備しないまま臨んで行ったら、やっぱり一回で落ちました。(笑)
この時は日本の色んなビジネスホテルが台湾で人材を探してで、
給料と福利厚生がまあまあいいホテルグループに応募して、めでたく受かりました。
このホテルグループの本社は大阪で、北海道、福岡にも施設あるので、
どちらが希望と聞かれた時、大阪と福岡は人気なので、北海道にしました。
行ったことないし、冬の積雪も見てみたい。
真夏に労働ビザがおりて、7月末に蒸し暑い台湾から北海道へ飛び立ちました。

札幌での2年半生活

札幌にいる最初の5ヶ月間は男女共用の一軒家シェアハウスに住んでました。
入る前は少し心配しましたが、全く問題はなかった。
家族みたいに一緒にテレビ見たり、たまにワインを開けて飲んだりしてました。

仕事の方は、初めての日本企業正社員、札幌街中のビジネスホテルのフロントとして働いてました。
入って三ヶ月後に新施設に配属され、経理業務も任されました。
新施設がオープンして順調に運営され三ヶ月経って、
全世界がコロナウイルスエピデミックになり、
移動することは制限され、ホテルが休館になりました
三ヶ月後に再開したが、まだお客さんが少なく、人件費も減らすため、月の半分は休みで、
部屋掃除のバイトスタッフは解雇され、フロントスタッフが自分で部屋掃除する事になった。

ホテル業から転職しようの考えが芽生え、独学で簿記三級、IT PASSPORT、秘書検定2級を取得した
Googleでマーケテイング関連の資格も勉強して取って、
2021年4月に札幌駅近くのスタートアップ企業にマーケテイング職として入りました。
社長、秘書と私三人で仕事を回っていた。
結局社長との理念とやり方が合わなくて、半年後秘書と二人一緒に辞めました。
再びの転職活動、東京と大阪を中心にマーケテイング職の求人を100件近く応募したが、
どれもうまくいかなくて、諦め、中国語が使える仕事に応募し、
横浜にある非鉄金属の貿易商社が受かりました。
会社の方は早く人が欲しいので、早速部屋解約の手続きなどして、
2021年の年末、12月中旬に横浜に引っ越しました。

横浜でのシェアハウスライフ

3年ぶりの関東、やっぱり便利でいいですね。
横浜は都会だけど、人口密度は東京都内より低く、公園で犬の散歩をしてる人が多いです。
今回入ったシェアハウスは大型シェアハウスで、昔寮だった物件から改造されたもの。
雰囲気は一軒家と全然違く、シェアメイトと程よい距離感で、プライベートスペースも広い。
リビング(交流スペース)でたわいない話したり、テレビ見たり、
人数集まったら、ボードゲームしたりしてます。

仕事方面は、サービス業からデスクワークに戻り、初貿易業界、語学力活かされている。
事務職なので、通関書類作成したり、乙仲さん(通関業者)とやり取りしたり、
お客さんの中国会社と連絡取ったりしてます。
社長は三つの会社持ってるので、サブの会社の経理事務も任されています。
営業チームメンバーと上司たちは英語あんまり喋れないので、
私が代わりに海外クライアントとやり取り、海外営業みたいなこともやらされています。

仕事内容は面白くないが、定時上がりで安定な生活を送っています。
横浜この都市と、今のシェアハウスはすごく気に入ってますので、
しばらくの間はここから離れないと思います。

後編まとめ

長々と失礼しました。
私の30年近くの人生をここまで見ていただきありがとうございました。

色々削って書きましたが、まさかここまで長くなるとは…
波瀾万丈の人生でしたね。

フランスで交換学生一年の経験と旅行や、
日本各地で生活して働いた経験、もっと詳しい内容を皆に発信したいので、
これからどんどん投稿していきます!


前編見てない人はこちらへ~